私は昼間農業をして、夜は合気道の
稽古をしています。
この、「百姓で合気道家」という
ライフスタイルは、私が最初ではなく
諸先輩方がいますが、元祖は誰だと
思いますか?
実は、合気道の開祖である
植芝盛平先生が「百姓で合気道家」の
そもそもの元祖なのです。
植芝盛平先生は1883年(明治16年)に
生まれ、1969年(昭和44年)に
亡くなられました。
和歌山の農家に生まれ、29歳で北海道
開拓団に参加し、そこで合気道の源流
となる大東流合気柔術に出会います。
その後、京都にあった大本という教団
に加わり、そこで武術と古神道の
研究をしながら、食糧生産部長として
農業に取り組みました。
そこで生まれたのが古神道の理念を
サムライの武術で表現した合気道
だったのです!
ですから、私自身が農業に毎日
取り組むようになって痛感してますが
合気道と農業のカラダの使い方は、
とても共通しています。
その理由は簡単です。
戦国時代末期(織田信長の時代)まで
サムライという独立した専門の職業は
なくて、大半のサムライは百姓でも
ありました。
春から夏にかけて米と野菜を育て、
農作業のない秋から冬が戦のシーズン
でした。
ですから、カラダの使い方が、
伝統的な日本の武術と農作業で共通
しているのはとても自然なのです。
特に、クワで耕すとか、鎌で草を刈る
といった昔からの道具を使う動きほど
合気道の動きと共通しています。
植芝先生は、「合気即生活」という
言葉を残されました。
また、「武農一如」という言葉も
残されました。
これは「武道と農業は同じである」
という意味です。
つくづく、日々痛感しています!
合気道を稽古するというのは、
日本古来のココロとカラダの使い方を
学び、日々の生活に活かすこと。
それが開運和ライフにつながります。
別に道場で技の稽古をしなくとも、
自然のリズムを意識して、調和と
平和の心がけをすれば、それが
「合気即生活」であり、開運和ライフ
なのです。
次回のテーマは、
「青い日の丸が国旗の国!?」
そんな国が本当にあるの?という
お話です。
お楽しみに!!