台湾の農業を救った日本人

自分につながる「根っこ」を知ると
運気が上がります。

世界のある国では誰でも知っている
有名人なのに、日本ではほとんど誰も
知らない日本人が何人もいます。

八田与一さんはその一人です。

台湾では、その人物と業績が
中学生向けの教科書や、小さな子ども
向けの絵本にまでなっています。

八田与一さんは、日本の占領統治下の
台湾で、嘉南平野という荒れ地に
巨大なダム、鳥山頭ダムを作り、
なんと15万ヘクタールの豊かな農地を
作り出したのです。

その当時、日本にあった最大のダムの
何倍も大きなダムです。

このダムは、長期間にわたり使用され
嘉南平野は現在も台湾で一番の
農業生産地となっています。

八田与一さんは、その業績だけでなく
とても人望がありました。

何度も建設資金が不足する危機を
乗り越え、10年以上かけてダムを
完成させました。

建設作業に従事した台湾の人たちに
分け隔てや差別なく接し、宿舎には
野球場やテニスコートを作り、待遇の
改善を図りました。

台湾の方々からはお父さんのように
慕われて、銅像が立てられました。

その八田さんは、第二次世界大戦中に
フィリピンの農地改善に向かう途中で
イギリスの潜水艦によって船が沈没し
亡くなられました。

現在は鳥山頭ダムに
「八田与一記念公園」が整備されて
います。

日本が「侵略し、暴力的に支配した」
とされる国々では、占領時代に
以下の共通点が見られます。

1)道路や橋、鉄道などの
社会インフラが整備されている。

2)医療・衛生環境が改善され、
乳幼児死亡率が大幅に低下し、
風土病などは減少している。

3)農業技術が改善され、食糧生産が
向上している。

4)教育制度が整備され、現地の人に
高等教育の機会が提供されている。

第二次大戦後に、東南アジアの国々が
スムーズに独立できたのは、こうした
日本の占領統治下の遺産を活用した
からだと私は思います。

この点、欧米に侵略され、植民地支配
されたアフリカや中近東が、独立後に
社会体制の確立に苦戦し、今も混乱と
無秩序がおさまらないのと、極端に
状況が違います。

こうした歴史的事実を、私たちの世代
はいっさい学校で教わることは
ありませんでした。

先生方に悪意はなかったと思います。

日本人の「根っこ」を切る教育が
なされていたのだと思います。

次回は「特攻しなかった特攻隊」
について書きます。
お楽しみに!

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