特攻しなかった特攻隊

自分につながる「根っこ」を知ると
運気が上がります。

第二次世界大戦末期の日本では、
特攻隊(特別攻撃隊)という、
とてもとても悲しい軍事作戦に従事
された方々が大勢いました。

爆弾を積んだ飛行機や小型の船、
潜水艦で敵艦に体当たりするという
作戦です。

成功すれば爆死、失敗すれば敵に撃破
されて爆死する、あるいは墜落・沈没
して死ぬという選択肢しかない、
本当に悲しい作戦です。

この作戦をとるしかないほど、当時の
日本軍は追い詰められていました。

当時はすでに、戦いの主力が航空機に
よる空からの攻撃になっていました。

それなのにアメリカ軍の開発した、
敵機に近づくと、当たらなくても
爆発する特殊な砲弾で、優秀な
戦闘機パイロットと高性能の戦闘機の
ほとんどを失って、航空機を運ぶ
空母もすでに全て沈められました。

レーダー誘導の発達していない時代
ですから、人間が爆弾を誘導する作戦
を選んだのですね。

本当に、本当に、悲しい作戦です。

海軍は、全員でこの特攻に取り組む
ことを会議で決定しました。

でも、その時代に「我々は特攻以上に
成果を出せます」と言って、体当たり
しなかった飛行機部隊があります。

「芙蓉部隊(ふようぶたい)」と言って
夜間攻撃を専門に行った部隊です。

レーダーの未発達な時代ですから、
当時は、目で見て飛ぶ有視界飛行が
常識だったのに、真夜中に出撃して
暗いうちに相手を攻撃して戻ってくる
という、常識を超える作戦です。

昼間は舗装していない滑走路に牛を
放牧して、ニセモノの移動式牛小屋を
置いて、アメリカ軍の偵察をごまかし
夜になるとそこから出撃したのです。

そのために、隊員たちは昼間寝て
夜に起きる生活で夜目(よめ)を鍛え
夜間飛行の技術を高めました。

当時の日本(大日本帝国)で、
軍隊というピラミッド組織で、
全員が「体当たりだ!」と言っている
時に「我々は別のやり方をします」。
と発言する肝っ玉は本当にすごいと
思いませんか?

また、工夫と技術でその時代の常識を
超えてみせるのも、我々が学ぶべき
ことではないかと思うのです。

「特攻」の悲しい歴史を語り継ぐと
共に、「芙蓉部隊」のことも後世に
伝えていきたいですね。

日本人の「根っこ」を大切に生きる
ことで、自己肯定感が高まり、
運気が上がります。

次回は「引き寄せの法則は本当か?」
について書きます。
お楽しみに!

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